髪の毛あり|瀬戸内寂聴の若い頃の画像!3回不倫した遊び人だった?

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瀬戸内寂聴さんと言えば「恋しなさい!」と自身の説法の中でもよく口にされていることで有名で、不倫でもいいから恋せよとおっしゃっています。

そう、瀬戸内寂聴さん自身、3回も不倫していた!遊び人だったのか!?と気になる過去の持ち主です。

ここでは瀬戸内寂聴さんの髪の毛があった時代の写真を紹介しつつ、不倫時代を徹底調査してまとめます。

記事の内容はこちら!

記事の内容
  • 瀬戸内寂聴の若い頃の髪の毛あり画像は?
  • 瀬戸内寂聴は結婚して不倫してた!?
  • 瀬戸内寂聴さんの子供は?
  • 瀬戸内寂聴のプロフィール

それでは見ていきましょう!

髪の毛あり|瀬戸内寂聴の若い頃の画像!

瀬戸内寂聴の若い頃

若かりし日の瀬戸内寂聴さんはもちろん、まだ出家していないので髪の毛もあります。

しかもこの写真はとてもおしゃれな雰囲気でファッションセンスがとてもある寂聴さんという印象です。

瀬戸内寂聴の若い頃の画像

しっとり落ち着いた和装の寂聴さんですが、この頃はすでに作家として活動していた頃と思われます。

瀬戸内寂聴のお洒落してる写真

えっ!?これ寂聴さん!??と思ってしまう写真です。

意外にもこんな銀座のホステスさんの様な雰囲気の写真もあります。どこか艶っぽさを感じさせる1枚です。

ネットの声
  • 若い頃の瀬戸内寂聴かわいいな…。
  • 若い頃の瀬戸内寂聴は、谷良子とも似ている?
  • 瀬戸内寂聴の若い頃、美人ではないけど猛獣っぽくてええで

なんだか出家する前の寂聴さんはいろいろな顔を持っていたのかもしれません。

そんな寂聴さんですが出家するまでの人生が興味深く「不倫人生」と言われる月日が流れていきます。

瀬戸内寂聴は若い頃に3回不倫した遊び人だった?

瀬戸内寂聴の顔

寂聴さんは1942年東京女子大学在学中の20歳の時にのちに夫となる9歳年上の酒井悌氏(1913-1992)とお見合いし、婚約し1943年2月に結婚しています。

早い結婚だったと思いますが、夫の酒井悌氏は大学の先生などされていた経歴を持ち、とても立派な方ということで経済的にもとても裕福な暮らしをしていたと想像できます。

寂聴年表
  • 1942年8月 見合い~結婚
  • 1943年2月 徳島で結婚。夫・酒井氏北京に単身赴任
  • 1943年10月 夫の元へ北京に渡る
  • 1944年8月 娘出産
  • 1945年6月 夫が現地で召集
  • 1945年8月 終戦、夫戻る
  • 1946年8月 北京から親子三人徳島に引揚げる
  • 1947年秋 一家三人で上京
  • 1948年 夫と子供を残し家出し夫の教え子のいる京都へ
  • 1950年2月 正式に協議離婚
  • 1951年小田仁二郎と出会い不倫関係
  • 1959 小田仁二郎 元夫の教え子と三角関係
  • 1966 井上光晴と不倫関係

ですが瀬戸内寂聴さんは不倫三昧の人生でした!

寂聴の1回目の不倫は?

瀬戸内寂聴の若い頃の画像

寂聴さんの最初の不倫相手は夫・酒井悌氏の教え子で文学青年でした。

寂聴さん25歳、夫・酒井悌氏34歳、不倫相手の青年21歳の時です。

この時、寂聴さんは正直者なのか?罪の意識があったことから夫の酒井悌氏に事実を告げてしまいます。

当然、酒井悌氏は激怒!そして2人の仲を引き裂こうと、寂聴さんと娘を連れて上京することにします。

京都嵐山

この時です。いったん上京しますが、寂聴さんは作家になるためにというか、文学青年のいる京都に家出をしてしまいます。

一部では夫の酒井氏の暴力もあったと言われていますが、この時代の男性の多くは男尊女卑の思考の方が多くいた時代だったと思うので何かしら影響したのかもしれません。

ですが….青年にとっては夫とまだ幼い子供を残して家を出てきた寂聴さんが”重かった”ようです。

寂聴さんは振られてしまいます。子供までおいてきたのに!?と思いますが、その後の作家としてはこの流れでよかったのかもしれません。

まるで映画やドラマにある様な”不倫愛”が終わりを迎えます。

寂聴さんは再び東京に戻り、1950年寂聴さん28歳の時に夫の酒井悌氏と正式に離婚が成立します。

そして小説家としての活動と独身としての生活がスタートします。

寂聴の2回目の不倫は?

瀬戸内寂聴と妻子持ちの作家・小田仁二郎氏

1951年離婚の翌年ですが寂聴さんは東京に住み、文学の同人になったのが29歳の時です。

2回回目の不倫相手は同人の先輩だった妻子持ちの作家・小田仁二郎氏に自分の小説の原稿をみてもらったことで近しくなっていったということです。

のちに作家・瀬戸内寂聴の師としても知られていることになった人物でもあります。

小田仁二郎氏は超貧乏作家だったようで2人が出会って旅行に行きますが、超貧乏旅行だったというエピソードもあった様です。

瀬戸内寂聴の夏の終り

寂聴さんの1963年女流文学賞受賞し、出世作となった『夏の終わり』には小田仁二郎氏との”深い”関係についても描かれています。

無口で非社交的で、経済力のない、世間の目から見れば頼りない男の典型のような慎吾に、知子は全身の鍵をあずけたようなもたれかただった。

引用元:瀬戸内晴美「夏の終わりに」

ただこの時の不倫時期に寂聴さんが家出し、離婚に至った原因の夫の元教え子の男性と10年余り経って再会します。

その時のその男性はと言えば、見るからにすさんだ感じで精気がないのがわかるくらい変貌していたと言います。

そして寂聴さんはどうしても放っておけない気持ちになり、再び関係を持ってしまいます。

小田仁二郎氏と最初の不倫相手の男性の間で逢瀬を重ねる寂聴さん。

元教え子の男性は昔のあの頃とは変わっていました。

ポイント
  • 寂聴さんと小田氏の不倫の関係を『不潔』だと責めた
  • 自分の会社の資金繰りのため寂聴さんにお金の無心をした
  • 若い女を作っていた

最初に出会った頃、純粋な気持ちで恋愛していた頃の元教え子ではなくなっていたのは決定打となり、寂聴さんは小田仁二郎氏と元教え子の両方との別れを決意します。

元教え子の男性はその後、自身の会社が経営がうまくいかず、自らの命を絶ってしまったということです。

寂聴の3回目の不倫は?

小説家の井上光晴氏

寂聴さんの3回目の不倫相手は妻子のいる小説家の井上光晴氏でした。

井上光晴氏には娘・井上荒野さんがいて、井上光晴氏が亡くなった後に寂聴さんと父の小説を書くために寂聴さんに直接取材されているということです。

そして井上荒野著・長編小説『あちらにいる鬼』が発表されています。

井上荒野著・長編小説『あちらにいる鬼』

寂聴さんと井上光晴氏の不倫関係は井上荒野さんが5歳〜12歳の頃の7年間続いていたと言われています。

荒野さんが1961年生まれなので出会いは1966年頃になりますね。

ただこの井上光晴氏は寂聴さん以外にも女性がいたと言われています。

井上光晴氏にとって女性はその時一緒にいる、または目の前にいる女性を喜ばせるための言葉を持っていたと言われていて、とてもモテた方だったようです。

『良心の呵責に苛まれた』

寂聴さんのこの言葉にすべてが込められている様に思えます。このころに出家を決意するんですね。

瀬戸内寂聴

そして寂聴さんと井上光晴氏の2人の関係は寂聴さんが出家した以降も井上光晴氏が亡くなるまで”形を変えて”交流は続いていた様です。

井上光晴氏の娘で作家である井上荒野さんは父と寂聴さんの関係を具体的に寂聴さんから聞き、このように話しています。

寂聴さんは父が本当に好きだったんだなということに感動した。父との恋愛をなかったことにしたくないんだろうなって。そこにぐっときちゃったんですよね

引用元:好書好日
ネットの声
  • 不倫すると、やっぱりどこか後ろめたさを抱えるんちゃうかな?
  • いやいや、不倫はダメだと思う。
  • 「不倫でもなんでもいい、恋をしなさい」はちょっと意味わかんない

瀬戸内寂聴が捨てた娘の現在は?

瀬戸内寂聴と子供

寂聴さんは1944年娘さんを出産しています。

娘のプロフィール
  • 名前:廸子 (みちこ)
  • 生年月日:1944年8月1日(77歳*2021年10月時点)

娘の廸子さんは物心ついたときに母親は事故で亡くなったと伝えられていたということです。

寂聴さんが家出をした2年後、5歳になった娘さんに会いに行ったことがある様です。

その時寂聴さんが「お母さんは?」と娘さんに尋ねると『死んだ』と答えたそうです。

何も言えなくなった寂聴さんは用意していたお菓子を娘さんに渡して別れるしかなかったと…、でも実は娘さんはお菓子をくれたのが母親だと分っていたと後から知ったとの事です。

娘さんを置いて家を出た理由を連れていきたかったが現在の様に仕事がなかったので自分では養っていけないと思い、旦那さんの元に置いていったと寂聴さんは話しています。

漫談する瀬戸内寂聴

そして96歳になった頃の法話の会でこのようにも話しています。

作家になるため娘を置いて家を出たエピソードを明かし「96歳まで生きて何も後悔することはないが、そのことだけはしちゃいけないことをしたと今も思っている」「娘はまだ4つで、お母さん行かないでとさえ言えないほど幼かった。悪い母親だった」

引用元:徳島新聞電子版

その後は母親は生きている、しかも男を作って出ていったという事実を知ることとなり、相当悲しかったことでしょう、そしてとても許せるものではなかった様です

寂聴さんは出家前に娘の廸子さんが結婚すると耳にし、婚礼家具一式をお祝いにと贈ったことがあったそうです。

しかし!廸子さんは母親を恨んでいたのでしょう….そのままその贈り物は寂聴さんの元に返されたということでした。

しかしその後のの2人は寂聴さんが出家した後に関係は修復されています。

ネットの声
  • 瀬戸内寂聴が子供いたにも関わらず夫の教え子と不倫して結局独り身になった話聞いたら謎の勇気が湧いてきた
  • そうやって自分の子供や夫をポイしちゃったわけか。
  • 寂聴のおばあちゃんは、善悪とか常識とかってよりも、作りが根本的に一般の人と違う

現在アメリがに住んでいる娘の廸子さん、日本に帰ってくると寂聴さんと会っているということなので、寂聴さんはもうすぐ100歳になりますが長生きしててよかったと思ったことでしょう。

時間の経過とともにお互いの中にあるものも変わってきて受けいれられる器もいい意味で変わった様ですね。

瀬戸内寂聴のプロフィール

瀬戸内寂聴の顔
本名瀬戸内晴美(せとうちはるみ)
ペンネーム三谷晴美(みたにはるみ)
生年月日1922年(大正11年)5月15日(99歳)*2021年10月時点
出生地徳島県徳島市塀裏町(現在の幸町)
最終学歴東京女子大学国語専攻部
職業小説家
活動期間1956年 –
僧位権大僧正

瀬戸内寂聴さんは三谷家の次女として生まれています。実家は仏壇店でした。

寂聴さんが徳島高等女学校時代に父が養子縁組をしたことで苗字が三谷から瀬戸内に変わっています

実は寂聴さんは最初『修道女』になろうとしたそうです。

しかし、教会側は厳しかった!「夫と3歳の娘を捨て、不倫相手と暮らすような者を受け入れられない」とあっさり断られています。

その後、出家を決意しますが、多くの寺院でも断られていた経緯もあったようです。

出家する瀬戸内寂聴
坊主の瀬戸内寂聴

得度式の様子です。

悟りを求めて仏道の修行に入ることを「得度」といい、その儀式を「得度式」といいます。
得度式では、まず始めに、出家して僧侶となる決意を問われます。
髪の毛を剃る「剃髪(ていはつ)」の儀式が行われ、仏弟子としての名前(法名)と袈裟を授かります。

引用元:総本山智積院

瀬戸内寂聴さんが出家することになった要因として不倫相手の男性との縁を断ち切るためとも言われています。

ただ一番の大きな要因は思い起こせばやはり、おいてきた娘への後悔だったのではないでしょうか。

瀬戸内寂聴さんは3度の不倫をし、作家として成功!そして1973年・51歳の時に出家することになり、その後の人生を過ごしています。